バタバタな連休明け、でもそこに見えた幸せ
三連休明けの火曜日。今朝も例に漏れず、我が家は慌ただしい朝を迎えました。年末年始の余韻が残る中での三連休。その最後を飾る家族旅行から帰ってきたばかりということもあり、いつも以上にバタバタとした朝でした。パートナーは早番で先に出勤。残された私と子どもたち4人で朝食を済ませ、それぞれの目的地へと向かう準備を整えました。
見逃してない?「やるべきこと」がくれる特別な時間
子どもたちを送り出し、最後に私が出社する際、ふと立ち止まって考えてしまいました。「やるべきことがあるって、実は幸せなことなんじゃないか」と。休暇中は特別な予定もなく、ゆったりとした時間の流れの中で過ごしていました。それはそれで素晴らしい時間でしたが、今朝、家族全員がそれぞれの「やるべきこと」に向かって動き出す様子を見て、何とも言えない充実感を覚えたのです。こうして「やるべきこと」のある日々に戻ると、休日のまとまりのない時間の価値がより一層明確になるのだな、と。逆に人は「やるべきこと」がなければ、どんなに自由な時間があっても、その価値を実感できないややこしい生き物なのかもしれません。
休みと日常のバランスが人生を豊かにする理由
休暇中の「何もしない贅沢」。休みの時間は確かに自由で楽しいものです。でも、その時間が特別に感じられるのは、実は「やるべきこと」という対比があるからこそなのかもしれません。この「やるべきこと」があるからこそ、それ以外の時間が輝きを増す。この気づきは、大人の我々にとっては当たり前ですが、子供たちはきっとまだそうではないのでしょう。今朝、末っ子は昨日までの楽しい思い出を引きずりグズついて、それでも学校に向かっていきましたが、それはある意味で「休暇」と「日常」という異なる時間を区別でき始めている証、学んでいる真っ最中なのかもしれません。
学校と仕事が教えてくれる「未来を作る力」
私の場合、幸いにも今の仕事には常にやるべきことが溢れています。特に連休明けは山積みです。これは自分で創り出した課題と、与えられた責務が程よくミックスされた状態かもしれません。もし仕事を離れてしまえば、自分で「やるべきこと」を見つけ出さなければならない。それは想像以上に難しい挑戦になるでしょう。
子どもたちにとっての学校も同じような役割を果たしているのかもしれません。毎日学校に通うという「当たり前」の中で、彼らは継続することの大切さを学んでいます。そしてその過程で、自分がやりたいこと、創り出したいものを少しずつ見つけていくのでしょう。子供たちにとって学校に行くことは常識です。そしてこの常識の内で続けること、ルールを学ぶことも、将来、自分の「やりたい」を作り上げる基盤になるのではないかと思います。実は、この「やるべきこと」という概念は、私たちの人生に予想以上の深い影響を与えているのかもしれません。それは単なる義務や責任ではなく、私たちの時間に「味わい」を与える重要な要素で休暇の「甘さ」も、仕事の「苦味」も、学校生活の「酸味」も、全てが絡み合うことでかけがえのない人生という一皿を作り上げていることを。
今日から始める!「やるべきこと」を楽しむシンプルなコツ
私たち大人の日常は、一見すると単調で特別なものには見えないかもしれません。でも、その中には確かな学びと気づきが詰まっています。「やるべきこと」があることは、決して束縛ではありません。それは私たちの時間に意味を与え、生活に潤いをもたらす、かけがえのない存在なのです。
今、学校に通い、時には面倒に感じる勉強や課題に向き合っている子供たち。それは決して無駄な時間ではありません。その経験が、きっと将来のあなたたちの人生を豊かにしてくれるはずです。今日の気づきを、そんな未来を担う子どもたちへのメッセージとして記しておきたいと思います。今の子どもたちには、もしかしたら少し難しい考え方かもしれません。でも、「やらなければならない」と感じる時間があるからこそ、「やりたい」時間が特別な輝きを持つ。このバランスに気づけた時、きっと学校生活も、将来の仕事も、より深い味わいを持って感じられるはずです。
ではまた会いましょう。