私は仕事を「楽しい」と思ったことが一度もありません。
仕事は自分が人生において大切にしている人へ影響を与えてくれたり、大事な場面でヒントになったりすることを学ぶ為の手段だと考えています。
と聞くと、「じゃあずっと辛い思いを抱えながら働いてきたのか」と思われるかもしれませんが、実際はそうではありません。仕事に対して、たしかに「楽しい」という感情は湧きません。でも、充実感を覚える瞬間や、働くことそのものに納得できている自分もいます。矛盾しているように感じるかもしれませんが、私にとって「楽しい」と「充実」はまったく別の感情なのです。
たとえば、大きなプロジェクトを無事に完遂したとき。チームが一丸となり、様々な困難を乗り越えながらゴールにたどり着いた瞬間には、「やり遂げたな」という充実感が確かにあります。でも、そこに「楽しかった!」というような喜びや興奮はありません。むしろ、心の大半を占めるのは「ホッとした」という安堵感です。結果が出せてよかったという安心感が、自分を支えているような気がします。
最近になって、こんなことを考えるようになりました。「楽しい」という感情を「充実」に置き換えるなら、私は比較的日々充実しているのかもしれない、と。でも、私にとっての充実感にはどうしてもネガティブな要素が絡むため、純粋に「楽しい」と感じられないのだと思います。充実感を得るためには、避けられない課題があります。嫌なことを受け入れること、難しい状況に正面から向き合うこと、苦手な人とのやり取りも避けられないこと。それらをひとつひとつこなしていく過程で生まれる感情は、とても「楽しい」とは言い難いものです。
ただ、それらのネガティブな経験を乗り越えると、不思議なことに「やってよかったな」と思えるのです。そして、その積み重ねが私にとっての充実感や達成感につながっています。もちろん、何度も嫌な思いをするのはできることなら避けたい。でも、それが結果として現在の自分の「充実」や成長に結びついていると考えると、逃げるわけにもいきません。
私はこれを「練習」と捉えています。スポーツであれば、練習を繰り返すことで個人の技術が向上します。同じように、仕事においても、日々の経験を「練習」として捉えることで、自分のスキルや考え方が磨かれていくのだと思います。若い頃は、「練習なんて辛いし嫌だ」と感じることが多かったのですが、今ではむしろポジティブに受け止められるようになりました。練習の先にある「成長」や「充実」を理解したからかもしれません。時には、積極的に困難な仕事に挑戦し、「練習」の場に自分から飛び込むことすらあります。
それに、練習を練習と割り切ると、ネガティブな感情に必要以上に振り回されることが少なくなります。「練習は本番でうまくいくためのもの」と考えれば、その過程で起こる辛い出来事も、「これは本番のための準備だ」と前向きに捉えられるのです。最終的には、「練習なのだから感情を持ち込む余地はない」という心境に到達することが理想かもしれません。
では、その「本番」とは一体何なのでしょう?仕事において短いスパンで見れば、ひとつひとつのプロジェクトが本番と言えるでしょう。でも、長いスパンで考えると、それは「人生」そのものなのではないでしょうか。私にとって、仕事は人生の目的ではなく、人生を豊かにするための手段です。
仕事を通じて得た教訓や学びを、私は家族、特に子どもたちとのコミュニケーションにフィードバックしています。たとえば、仕事で直面した問題解決の経験を家族との会話に活かし、子どもたちに新たな視点や考え方を伝えることができる。こうした交流が、家族の会話をより豊かにし、深みを与えてくれると感じています。
だからこそ、私は「仕事が楽しくなくても構わない」と思うのです。むしろ、その先にある「成長」や「人生への影響」の方が、ずっと大切だと感じています。そして、この考えがあるからこそ、これからも私は仕事を「練習」として続けていきたいと思っています。
おそらく、仕事に対する考え方は人それぞれ異なるでしょう。楽しさを追求する人もいれば、私のように「充実感」を軸に考える人もいます。それぞれの価値観を大切にしつつ、私は私のやり方で、人生の「本番」に向けて練習を重ねていきたいと思っています。
では、また会いましょう。