公私の境界線は曖昧でいい。心の折り合いをつける新しい視点
現代社会では、仕事とプライベートを「きちんと分ける」ことが理想とされる風潮があります。仕事中は家族のことを忘れて業務に集中し、プライベートでは仕事を持ち込まない。そんな完璧な線引きができる人がいたら羨ましいと思いませんか?でも実際のところ、そんな人はほとんどいないと思っています。人の心はそんなにシンプルには割り切れないはずです。
公私の相互作用を認めることの大切さ
たとえば、子どもが風邪を引いたという連絡が入ったとき。仕事中でも心配でソワソワしてしまい、集中力が削がれることはありませんか?ミーティング中に学校からのLINEが届いたら、つい抜け出して対応したくなるかもしれません。一方で、家庭で嬉しい出来事があった日は、仕事にも自然と晴れやかな気持ちで取り組めることがあります。子どもがテストで良い成績を取ったとか、家族との会話が弾んだとか、些細な出来事が大きな原動力になることすらあります。
仕事とプライベートは完全に分けられるものではなく、むしろ密接に影響し合っています。その事実を受け入れることが、健全な心の持ちように繋がるのではないでしょうか。
見えない「公私混同」を前提にするという発想
仕事の場で表向きには公私を割り切っているように見える人でも、実際には心の中で何かしらの感情を抱えていることが多いものです。ただ、それを表に出すか出さないかの違いがあるだけで、誰もが少なからず「行ったり来たり」しているのではないでしょうか。
この「行ったり来たり」を前提にして生活することは、働く大人としてとても合理的です。人は完全に公私を分けることができないのだから、それを理解し、折り合いをつけながら日々を過ごすほうが楽だと思うのです。
心の揺れを見せない大人の「流儀」
社会人としての振る舞いには、「公私をきっちり分けること」が求められることも多いです。しかし、本当に公私を分けられる人がいるでしょうか?どんなにプロフェッショナルで見えない努力をしている人でも、その裏では家庭やプライベートな問題を抱えているかもしれません。それを悟られずに、うまく折り合いをつけて働いているのです。
「大人の流儀」とは、この公私の曖昧さを前提にしたうえで、適度な距離感を保ち、協力し合うことにあるのではないでしょうか。仕事で何か困っているときに助け合える環境、家庭の事情で一時的に仕事に集中できない仲間をそっと支える姿勢。それこそが働く場で求められる大人の成熟した態度だと思っています。
公私混在を前提にした「心の余裕」
たとえば、同僚が突然そっけない態度を取ったり、会議中に集中力が欠けているように見えたとき、あなたならどう感じますか?「仕事なんだから、ちゃんとしてほしい」と思うかもしれません。でもその裏には、もしかしたら家族の問題や個人的な事情があるかもしれません。
そんなとき、少しでも「この人は何か大変なことがあるのかもしれない」と思うだけで、心の中に小さな優しさが生まれます。たとえそれを言葉にしなくても、寄り添う姿勢が生まれれば、自然と協力や助け合いができるようになる気がします。
私たちは聖人君子ではありません。完璧な公私の分離を目指す必要もないのです。大切なのは、同僚や部下、上司に対して「もしかしたらこの人もプライベートで不安定な気持ちを抱えているかもしれない」と思える心の余裕です。そして、その余裕がチーム全体の雰囲気を和らげ、結果的に仕事のパフォーマンスを向上させるのではないでしょうか。
公私の「折り合い」をつけるために
働く大人としての心得として、公私を完全に分けようとするのではなく、それらが影響し合うことを前提にした柔軟な考え方を持つことが重要だと考えます。そして、自分自身にも他人にも寛容になること。ときには感情が揺れることを認め、時に助け、助けられる。そんな環境を作れる人が、最終的には周囲から信頼される存在になるのではないでしょうか。
ではまた会いましょう。