子どもたちの一言に心揺さぶられる瞬間
先日、子どもたちと何気なく話をしていたとき、冬期講習の正月特訓の話題が出ました。正直なところ、私は「正月まで塾なんてまだ早いんじゃないか」と考えていました。でも一方で、どうせ家でダラダラ過ごすくらいなら、いっそ行かせたほうが有意義かもしれない、とも思っていました。そんな私の葛藤をよそに、子どもたちから一本の連絡がありました。その中で飛び出したのが、「お正月は遊びたいし、しかもそれに行こうが行くまいが、結局は自分だし」という一言。これを聞いた瞬間、私は驚きと感動、そして頼もしさを感じ、言葉が出なくなりました。親として、こういう場面ではつい自分の考えや価値観を押し付けたくなるものです。私も例外ではなく、冬期講習の意義や将来への影響といった観点から、いくつもの説得材料を用意していました。ですが、子どもが「結局は自分だし」と言ったことで、そのすべてが無力化されたのです。これほど強い意思を感じさせる言葉を、電話越しとはいえ聞かされると、説得なんてもう必要ないと感じました。
日々の中で成長する子どもたち
この一言がどれほど深い意味を持っていたのか、正直なところは分かりません。ただ、普段からブログで発信しているような考えを日々伝えているつもりではありますが、まだまだ会話の密度も積み重ねも十分とは言えません。それでも、子どもたちは私が知らないところで確実に成長しているんだな、と気づかされました。この言葉を聞いて、胸が熱くなるまでは大袈裟ですが、親としての喜びが込み上げてきました。
家族の会話が生む可能性
少し親バカな話かもしれませんが、一緒に仕事をしているメンバーの中でも、こんな風に自分の責任感をサラッと言葉にできる人は限られていると思います。それを自分の子どもが言ったとなると、単純に驚き以上のものを感じずにはいられませんでした。家族の中で日々交わされる何気ないコミュニケーションが、子どもの心の中でどのように消化され、形を変えて成長につながっているのか。そのプロセスに気づけた瞬間でもありました。
仕事にも通じる若い世代の成長
さらにこの出来事を通して、私は仕事の現場でも似たような可能性を感じました。自分よりも年齢が一回り、二回りも離れた若いメンバーに対して、年長者がギャーギャー言うことにどれほどの意味があるのかと。もちろん、時には指導や叱咤が必要な場面もありますが、それ以上に重要なのは、きちんとコミュニケーションを取ること。そして、その先は若い世代が自分たちで学び、成長していくものではないかと強く思いました。
子どもたちからの逆学び
仕事を通じて学んだことや感じたことを、子どもたちに伝えていきたい。そう思っている私ですが、今回のように子どもたちとの何気ない会話の中から逆に学ぶことがあるのだと気づきました。それは、私自身を奮い立たせてくれるヒントにもなるのです。「結局は自分だし」という言葉を聞いて、私もまた、自分の言動や考えを見つめ直す良いきっかけを得ました。そして、その一言が心に響く素晴らしい大人であり続けたいと改めて思いました。
最後に、こういった日々の小さな気づきを与えてくれる子どもたちに、「ありがとう」と伝えたいです。
ではまた会いましょう。