「仕事と子育ての狭間で -ある中年男性の葛藤-」
最近、職場では「新しい働き方」が少しずつ浸透しつつある。それは、男性社員が夕方前に帰宅し、子供を迎えに行き、家庭でのひとときが落ち着いた頃に再びパソコンを開いて仕事を再開するというスタイルだ。私もその「新しい働き方」を実践している一人だが、心の中には複雑な感情が渦巻いている。
「堂々派」と「こっそり派」
同じように子供の迎えや家庭の用事で仕事を一時的に中断する男性社員には、2つのタイプがいるように思う。「これから子供を迎えに行くので、少し抜けます!」と堂々と宣言するタイプと、私のように「別件があって少し外出します」と言い訳がましく装うタイプだ。残念ながら、私は後者—「隠れ子育てパパ」である。
子供の対応のためにオフィスを出るとき、私はどこか後ろめたさを感じる。悪いことをしているわけでも、手を抜いているわけでもない。それでも、堂々と言えない自分がいる。オンライン会議に参加する時は、「この数時間、子供の世話をしていました」なんてことはおくびにも出さない。あくまで、「普通に仕事をこなしている自分」を演じている。
「仕事に没頭すべし」という価値観
なぜ、私はこんなにも「堂々とできない」のだろうか。それは、根底に「仕事時間は仕事に集中すべき」という古い価値観が染みついているからかもしれない。私にとって、仕事中に没頭する姿勢はプロフェッショナリズムの象徴であり、誇りだ。「中断して家庭に戻る」という行為は、その誇りを少し曇らせる気がしてしまうのだ。
もちろん、誰もがそう考えているわけではない。今の若い世代にとっては、働き方の多様性は当たり前のことだろうし、家庭と仕事を両立する姿も自然に受け入れられているはずだ。もしかすると、私の「隠れ子育てパパ」ぶりなど、周囲には全く気づかれていないのかもしれない。私が必死に「隠している」つもりでも、実は誰も気にしていない可能性だってある。
「理想の働き方」への葛藤
それでも、私は思う。私たち世代の持つ「仕事への姿勢」や「美学」を完全に手放してしまうのは、やはり惜しい。何よりも「仕事に全力で向き合うこと」が当たり前であった時代を生きてきた私たちには、簡単には割り切れないものがあるのだ。
しかし、時代は変わった。柔軟な働き方が求められる今、私たち中年世代にも、変化を受け入れる柔軟性が必要だろう。これまでの価値観を捨てるのではなく、次世代の働き方に寄り添いながら、自分たちの美学をうまく融合させる「ハイブリッド型」のスタイルを模索すること—それが今、私たちに求められていることではないだろうか。
「次世代へのささやかな願い」
正直なところ、私のこうした葛藤や努力は、今の若手社員たちには見えていないかもしれない。それでも、もしもこの「隠れ子育てパパ」の働き方が、次世代の誰かに少しでも響き、何かのきっかけになってくれたら—そんなことを考える。たとえば、「お迎えに行くから、一時抜けます」と堂々と言える人が増えること。あるいは、仕事と家庭を両立することが自然で、誰もが気兼ねなく実践できる世の中になること。
変化の波に乗りながらも、大切にしたいことは手放さない。そんな「自分らしい働き方」を貫く姿勢が、私たち世代の役割なのかもしれない。そしてその姿勢が、新しい時代の働き方をつくる一歩になるのではないかと、密かに信じている。
家庭と仕事の狭間で揺れる中年男性の小さな葛藤。しかし、その葛藤こそが、次の世代へと繋がる働き方を模索する一つのプロセスなのかもしれない。
ではまた会いましょう。