「学びたい」という欲求の正体

「この年齢になって、何かを学びたいと思うなんて、自分でも意外だ」。これが最近の自分の新たな発見です。一般的に人間は常に「学びたい」という欲求を持っている、と言います。それは年齢を重ねても衰えることはありません。ただ自分がそうなるとはあまり思っていなかったので新鮮です。私の場合は年を重ねるごとにその欲求が強くなっているように感じています。

この「学びたい」という欲求の源を突き詰めていくと、そこには家族、特に子供たちの存在が大きく影響していることに気づきました。自分の成長が、子供たちやパートナーの幸せにつながるという確信が、学びへの強い動機となっているのです。

自分の存在意義とは

最近、会社でパーパス(存在意義)についての議論がありました。企業のパーパスというと、壮大で社会的な意義を持つものが多いですよね。しかし、個人レベルで考えると、まずは身近な家族のために頑張りたいという思いが先に立ちます。

実は、これは決して小さな目標ではありません。家族という具体的で身近な存在があるからこそ、日々の努力が続けられるのだと思います。私にとっての個人の「パーパス」は、家族と過ごす何気ない日常の中でのコミュニケーションを質の高いものにしたい。それこそが私の「存在意義」になればまずはハッピーではないか、と。

さらにそれが社会の為、自分とは直接的には関係がない誰かの為まで広がると、次の学びの源泉になる可能性も秘めています。今はまだそこまで考えが及んでいないし、その自分からはほど遠い何か、どこにいるのかすら分からない誰かの為というのはイメージしづらいですが、それがもし今後生まれてくるのではあれば、また次元の違う世界が待っている気がします。そんな世界を少しでも垣間見ることができるのであれば、学ぶことを継続してみたいと思うし、今までの自分では考えたこともありませんでしたがSNSを見ていると、そんな大きな視野を持って活動されている方々の投稿に出会うことがあります。そういった投稿を目にするたびに、誰にでもそのようなチャンスはあるのだと感じ、自分を過小評価する必要はないのかもしれません。

「継続」=「やめないこと」>クオリティ

もちろん、簡単な道のりではないことは理解しています。時間もかかるでしょう。しかし、やるかやらないかの二択であれば、やってみる価値は十分にあります。特に大きなリスクもないので、長期的な自己投資だと考えれば、気負わずに続けていけそうです。毎日でなくても、時にはサボることがあっても、とにかく継続することを心掛けよう。初めからクオリティにこだわる必要はありません。むしろ、ずっとクオリティが上がらなくても、その過程自体に価値があると信じています。いつも思うことですが、一番大事なのは「やめない」ことです。続ける事で、それがどのような低クオリティであっても、いつかは「何か」を伝えられるようになる。これは、子供に自然に残される「経験資産」のようなものです。なぜなら、この日々の気づきや学びの記録が、いつか子供たちの人生の何かのヒントになるかもしれないからです。それは教科書には載っていない、実社会での経験や気づきの集積です。

「分からないこと、知らなかったことを学ぶ」という超シンプルな姿勢

普通の会社員である私たちにも、日常の中で学べることは無数にあります。それを記録し、共有し続けることで、誰かの人生に小さな影響を与えることができるかもしれません。

そして何より、この学びの記録は、将来の子供たちへの最高のプレゼントになるはずです。なぜなら、それは単なる知識ではなく、実際の経験に基づいた、等身大の父親からのメッセージだからです。もし、このブログがそんな日々の自分の一部を子供の未来に存在できることを証明できたら、この時間は確実に意義を持つでしょう。「分からないこと、知らなかったことを学ぶ」という超シンプルな姿勢。これこそが、最近初めて気づいた大切な学びの形かもしれません。

ではまた会いましょう。