はじめに:年末のオフィスが教えてくれること

私は、会社員として15年以上働いてきましたが、年間で最も好きな日を挙げるとすれば、それは間違いなく「仕事納めの日」です。大型連休は数多くありますが、この日ほど特別な雰囲気を持った日は他にないと感じています。普段は均一に流れているはずの時間が、この日だけは不思議とゼリーのように柔らかく、まるで手で掬えそうな感覚になるのです。「時間の単位が変わる」ちょうど狭間みたいな日と言えるでしょうか。

時間の概念がない心地よさ

普段はパソコンのキーボードを打つ音や電話の呼び出し音、会議室からの話し声で溢れているオフィスが、仕事納めの日には不思議と静かです。すでに休暇に入っている同僚も多く、残った私含めて一部はまるで図書館にいるかのような静けさの中で仕事をします。

この静けさは、一年間の喧騒が徐々に収まっていく音のようで、心が自然とリラックスしていきます。通常のオフィスは「時間の工場」のようなものです。分刻みのスケジュール、締め切り、会議の開始時間。すべてが正確で固い時間に支配されています。でも、仕事納めの日は違います。この日のオフィスは「時間の概念」が弱まるのです。

社会全体が休む、その特別な時間の必要性

夏休みやGWとの大きな違いは、この時期特有の「日本中がお休みモード」という空気感です。夏休みやGWも気分をいくらか変えることができますが、社会は動き続けるので「本当に休めているのか」という感覚が少なくても私にはあります。それに比べ、年末年始のように社会の大半が休むことで、その時間は認知を超えた「休む意義」を持ち始めます。もちろん、医療従事者の方々や、私たちの生活を支えてくださる様々な業種の方々は休めない状況にあり、全ての人にとってはそうではないかも知れません。

それでも、普段は常に動き続けている社会全体が、少しずつペースを緩めていく様子には、独特の心地よさがあります。そのため、この日に限っては作業をのんびりこなす自分に、たまには責任感を込めない「ただの時間」を与えられているようで「やらないことを認める」必要性を感じるのです。

デジタルデトックスならぬ「時間デトックス」

以前は恒例だった賑やかな納会も、コロナ禍以降はすっかり形を変えました。最初は寂しく感じたものですが、今では静かに一年を締めくくれることに、新たな良さを見出しています。最近、「デジタルデトックス」という言葉をよく耳にします。でも、仕事納めの日は、私にとって「時間デトックス」の日。一年間、びっしりと詰め込まれたスケジュールから解放され、時間という存在そのものを見つめ直す日なのです。

時間との対話

このように私がこの日を特別に感じる理由を考えていたら、この日が「頑張る時」と「休む時」のちょうど時間の境目にあるからこそ、両方の良さを感じられる特別な一日なのではないか、と思いました。私の子供たちも社会人になったら、きっと忙しい日々を送ることになるでしょう。でも、そんな中でも、こういった「間」の時間、つまり頑張った後でまだ次が始まっていない時間には、特別な魅力があることを感じられるようになって欲しいな、と。大人になると、時間はどんどん早く過ぎていきます。だからこそ、大切なのは、時々、時間という存在と、ゆっくりと対話する機会を持つこと。そこから始まる小さな発見が、きっと人生を豊かにしてくれるはずです。

おわりに:新しい年への期待とともに

仕事納めの日は、一年の締めくくりであると同時に、新しい年への期待が芽生える日でもあります。来年はどんな新しい出会いがあるだろう、どんなことにチャレンジできるだろうと、静かなオフィスでスローモーションな時間の流れの中、期待に胸を膨らませる。そんな贅沢な時間を過ごせる日として、これからも大切にしていきたいと思います。「今年の時間の密度は、どうだっただろう?」「来年は、どんな時間の使い方を試してみよう?」と思いながら、2024年仕事納めとします。

ではまた会いましょう。