年賀状を出すか出さないか、その選択に込められた想い
今年も仕事始めを迎え、例年なら既に完了しているはずの年賀状の返信について、私は深いジレンマに陥っています。きっかけは単純で、インクジェット式の年賀状を買い忘れてしまったことです。しかし、この「買い忘れ」が、私に年賀状という文化について深く考えさせるきっかけを与えてくれました。普段、年賀状には子供たちの「一番イケてる写真」を印刷します。それを送るのが、ちょっとした誇りであり楽しみでもあります。でも今年、インクジェット式がないというだけで、「このまま出さないのもありかな」と迷っている自分がいます。受け取った相手がどう思うかも気になりますが、そもそも自分自身が納得できる形で出せるかどうかが問題です。
写真年賀状に込める想いと写真選びという呪縛
毎年の年賀状には、子供たちのベストショットを載せることが我が家のルーティンとなっています。それは単なる習慣以上の、特別な意味を持っています。良質な用紙に印刷された写真は、その年の子供たちの成長を最も美しい形で表現できる媒体だと考えているからです。市販の年賀状に「今年もよろしくお願いします」という決まり文句だけの年賀状では、私の伝えたい想いを十分に表現できません。ただその写真選びは、実は私にとって小さなプレッシャーでした。シンプルに子供たちの「イケてる写真」を選ぶはずが、気づけば2時間以上もスマホをスクロールし、完璧を求めて疲弊している自分もいます。
SNS時代における年賀状の価値の変容
SNSの普及により、友人や知人の日常を年中見られる時代となりました。家族写真や子供の成長を共有する機会は、はるかに増えています。しかし、興味深いことに、年賀状には独特の価値があることに気づかされます。普段SNSで発信しない方からの家族写真や、SNSでは見られない一面を知ることができる。それは、まるで特別な信頼関係の証のようです。以前は年賀状でしか見ることができなかった相手の近況も、今ではSNS上で年中見られるようになりましたがその結果、「わざわざ年賀状を出す意味って何だろう?」と考えることが増えました。それでも年賀状には、SNSにはない特別な価値があると思っています。普段SNSに写真をアップしない人たちが見せてくれる“特別な一面”。「この人の家族、こんな感じなんだ!」とちょっと驚きつつも微笑ましい気持ちになります。私自身も、SNSでは子供の写真をほとんど公開しませんが、年賀状だけは別。送り先の人との信頼関係を感じながら、少しだけ家族の姿を見せる。それが私にとっての年賀状の価値です。
デジタル時代の「わざわざ」の価値
実は私自身も、SNSでは子供の写真を控えめにしていますが、年賀状では積極的に載せています。この選択には、深い意味があります。年賀状という「閉じた関係」の中でこそ、安心して共有できる、それは、SNSの「開かれた関係」とは異なる、特別な絆を生み出しています。またその絆を生み出すベースとなっている手元に残る実物の写真には、スマホのスワイプでは得られない「わざわざ感」や「時間の重み」があるのでしょう。
子供たちと紡ぐ「年賀状タイム」
今年、娘がポツリと「とーたん、ママの年賀状を見るの楽しい」という言葉は、私の心に深く響きます。年始のゆったりとした時間の中で、家族で年賀状を見ながら会話を楽しむ。その光景は、デジタル社会では得難い、アナログならではの温かさを持っています。年賀状を作る時間の先には、子供たちとの小さな楽しみが待っています。お正月のゆったりした時間、家族で受け取った年賀状を見ながら話すひととき。これも年賀状ならではの贅沢なコミュニケーションなのかも知れません。確かに、年賀状を出す手間もありますし、返信が来ないことも増えています。それでも、子供たちと「年賀状タイム」を持つことで、新しい年を迎える実感を共有できるのは、他に代えがたい体験だと思います。
変わりゆく時代の中で考える、これからの年賀状
年々、年賀状のやり取りは確実に減少しています。私が熱心に書いても、返信が来なくなる可能性は高まるでしょう。しかし、それは時代の流れなのかもしれません。大切なのは、形式や習慣に囚われることではなく、人と人との絆をどう紡いでいくかということではないでしょうか。結局のところ、年賀状は完璧である必要も、SNSのような即時性を求める必要もないのかもしれません。むしろ、デジタル社会だからこそ、「わざわざ」の価値が輝くツールなのではないでしょうか。私は今年から、年賀状を「やらなければならないもの」から「できる範囲で楽しむもの」に位置づけ直すことにしました。
変化を受け入れながら、大切なものを守る
年賀状は単なる新年の挨拶以上の、特別なコミュニケーションツールです。SNS全盛の現代だからこそ、その独自の価値を私たちは再認識できるのかもしれません。形は変わっても、人と人との真摯な繋がりを大切にする心は、きっとこれからも変わらないはずです。そして、それこそが私たち親世代が子供たちに伝えていくべき大切な価値観なのではないでしょうか。そんな時代だからこそ、年賀状には新しい価値があるのかもしれません。それは完璧な見栄えや形式ではなく、むしろ「手作り感」や「わざわざ感」という、デジタルでは得られない温かみなのだと気づかされました。
私はブログを書き続ける理由の一つとして、「子供たちへの人生の履歴書」という意識を持っています。年賀状もまた、その一環かも知れません。今はただの年始の挨拶かもしれませんが、未来に子供たちがそれを見返したとき、「とーたんはこうやって人と繋がっていたんだ」と感じてもらえたら、それは嬉しいことだな、と。
ではまた会いましょう。