「阿吽の呼吸がない仕事」の良さに気づくとき
職場で「阿吽の呼吸」のようにスムーズに仕事が進むのは、誰しもが理想とする環境でしょう。周囲が優秀で、こちらの意図を先回りして動いてくれる。その結果、物事が思い通りに進むのは、とても心地よいものです。しかし最近、私はその理想とは逆の環境に、意外な価値があることに気づきました。それは、自分の考えとは全く異なる意見やアプローチを持つ人と一緒に仕事をする経験が、自分自身の成長に大きく寄与するということです。
なぜそう思うようになったのでしょうか。理由はシンプルです。意図が伝わらない、あるいは意図を正しく汲み取ってもらえない相手と向き合うとき、私たちは自然と「どうすれば分かりやすく伝えられるか」を考えざるを得なくなります。面倒に感じることもありますが、そのプロセスが自分自身のコミュニケーション力を磨き、結果として言語化能力をも鍛えてくれるのです。
スムーズな仕事の「落とし穴」
逆に、「阿吽の呼吸」で仕事が進む環境には、見落としがちな落とし穴もあります。周囲が完璧にサポートしてくれる環境では、自分が成し遂げたことと周囲の助けによる結果との境界が曖昧になりがちです。その結果、「自分自身の力」について過大評価してしまう危険性があります。もしチームや会社全体の成果を上げることが唯一の目的であれば、それでも構わないかもしれません。しかし、自分という人間の「深み」や「豊かさ」を育むという視点では、こうしたスムーズな環境は必ずしも理想的ではないのです。
優秀なメンバーに囲まれた環境は心地よいものですが、それだけで人としての成長が促進されるとは限りません。むしろ、「阿吽の呼吸」が通じないメンバーとの対話や試行錯誤を通じて得られる経験こそが、私たちの人間力を向上させるのではないでしょうか。
子育てにおける「プライベートPDCA」
この考え方は、子育てにも当てはまります。親として、自分よりも人生経験が浅い子どもたちと向き合う中で、伝え方や言葉選び、タイミングについて常に工夫を求められます。もし、自分が思ったように伝わらなければ、次は別の伝え方を考える。それは一見、堅苦しく感じるかもしれませんが、まるで「プライベートPDCA」を回しているようなものです。
たとえ相手がまだ10代の子どもであったとしても、その柔軟性は大人にはない魅力です。一方で、彼らの吸収力が高いからこそ、間違ったメッセージを伝えられないというプレッシャーも伴います。このような親子間のやり取りは、職場での上司と部下の関係とは異なるものの、そこで培われたスキルや意識が仕事にも生かされるのです。
相違点を楽しむことで広がる可能性
親と子、上司と部下という異なる関係性を意識しながら、私たちはそれぞれに適したコミュニケーションの形を探し続ける必要があります。その過程では、多くのストレスを伴うかもしれません。しかし、そうした試行錯誤が、結果的に私たちの人間力を大きく育んでくれると私は信じています。
完璧なチームメンバーに囲まれることは、確かに効率的です。しかし、違いを受け入れ、ズレを楽しみ、そしてコミュニケーションを重ねることこそが、長い目で見たときに、より深みのある人間を作り上げるのではないでしょうか。
ではまた会いましょう。