間違えることに怯えていた若手時代

若手時代を振り返ると、常に正解を探していた気がします。上司の指示に従い、マニュアル通りに進め、「これで合っているだろうか」と不安を抱えながら仕事をしていました。考えることよりも、正解を探すことに必死だったんです。

思考の筋トレが始まった瞬間

最近、不思議な感覚に気づきました。考えることが、純粋に楽しくなってきたんです。若手時代には考えられなかった感覚です。当時は正解を出すことが全てで、ミスを恐れて自分の意見を抑えがちでした。でも今は、異なる意見に出会い、ディスカッションを重ねることが楽しいのです。考えを述べることで生まれる対話が、自分を新たな視点へ導いてくれる。この楽しさを日々感じています。周りの人たちも私の意見に耳を傾けてくれるようになり、それも自信につながっているのかもしれません。

「それ、違います」が待ち遠しくなる日

面白いことに、「それは違うと思います」という意見をもらうことが、むしろ楽しみになってきました。もう心臓がバクバクしなくなりました。むしろ「おっ、新情報きた!」というワクワク感です。なぜでしょうか。それは、その瞬間に新しい視点を得られるからです。相手の意見を聞くことで「なるほど、そういう見方もあるのか」と、自分の世界が広がっていく感覚があります。考え方は無限大にあるわけで、誰かが違う角度で見せてくれることは、私にとって貴重な贈り物なのです。

プレゼン資料が「脳の筋トレメニュー」に変わった日

最近では、会社の重要な競合プレゼンテーションでさえ、学びの機会として楽しめるようになりました。結果よりも考えるプロセスそのものを楽しんでいます。もちろん、ビジネスの現場では成果が求められます。しかし、「正解探し」のプレッシャーを手放したことで、より自由な発想や発言ができるようになったのです。

思考のキャッチボールが面白くなってきた

ディスカッションの過程こそが、実は最も価値のある部分です。完璧な答えにたどり着くことより、その過程で交わされる意見や気づきの方が、私たちを成長させてくれます。人それぞれに異なる意見や思いがあるからこそ、その違いを通じて学べることが多いのです。

子供たちへ:考えることは「筋トレ」だよ

子供たちは私たち大人以上に、「間違えること」への恐怖を抱えています。学校では正解を求められる場面が多いため、発言を控える子も少なくありません。私も会議で的外れな発言をして恥ずかしい思いをした経験が何度もあります。でも、その失敗を繰り返す中で気づいたんです。考えることは筋トレと同じだと。最初は重たくて嫌だけど、続けているうちに快感になってくる。それって、まさに筋トレですよね?

思考の筋肉に気づいた40代

若手時代には感じることのなかった、この「考えることの楽しさ」。それは単に年齢を重ねたからではなく、正解を求めることから解放された結果なのかもしれません。「あ、今の考え方、ちょっと筋肉ついたかも!」という感覚。そう、考えることは脳の筋トレなんです。

これからも、考えることを楽しみながら、そして、その過程で得られた気づきを、このブログを通じて皆さんと共有できれば嬉しいです。

ではまた会いましょう。