「もっと考えてみて」って言う私も、実は悩んでいます

私は会社でチームメンバーによく「もっと考えてみて」と言います。この言葉を口にする度に、自分自身の思考の変遷を振り返るようになりました。「考える」ことは特別な能力ではなく、誰もが持っている力です。しかし、多くの人が「考える」ことを避けているように感じます。それは「考える」ことと「正解を出すこと」を同一視しているからではないでしょうか。

40代になって気づいた「考える」ことの本当の価値

実は私自身、「考える」ことを意識し始めたのはここ数年のことです。リーダーになったから?子供の成長に合わせて変化したから?明確な理由は分かりません。ただ、一つ確かなのは、しっかりと考えて導き出した意見は、周りからの共感を得やすいということです。ここで重要なのは、目指すべきは正解ではなく、共感だということです。

この経験の積み重ねが自信となり、さらに考えて意見を述べる好循環を生みました。考えることの重要性に気づき、意識的に「考える」習慣が身についていったのです。とはいえ、24時間365日考え続けているわけではありません。むしろ、考えていない時間の方が長いでしょう。それは自然なことです。大切なのは、考えることを意識する習慣を持ち、それを面倒とも楽とも感じない状態まで持っていくことです。

「恥ずかしい」の正体:会議での失態から学んだこと

「考えること」に正解も不正解もないと言いながら、多くの人は「的外れな発言」を恐れます。これは子供たちが学校で手を挙げるのを躊躇する気持ちと同じです。一度、恥ずかしい思いをすると、次から発言を控えてしまう。この気持ち、私にもとてもよく分かります。

私も以前はめちゃくちゃ考えない人間でした。会議で「では○○さん、どう思います?」と振られて、「えーと、まぁ…そうですね…」と言い始めたら、当時の上司から容赦なく「今考えたでしょ?」と突っ込まれたことが何度もあります。その度に冷や汗をかきながら、「やべぇ、ちゃんと考えとけばよかった…」と後悔する日々。でも不思議なもので、こういう “痛い目” を何度か経験していると、自然と物事を考えるクセがついてきました。

「安全な環境」の本質:正解を求めないチーム作りのコツ

親として、また会社ではリーダーとして、私が心がけていることがあります。それは「安全な環境」づくりです。家族間では、どんな発言も受け入れる雰囲気を作ること。職場のチームでも同様に、メンバーが安心して意見を言える場を作ること。

さらに重要なのは、その環境下で「考えること」と「正解を出すこと」は別物だと教えることです。この二つを分けて考えられるようになることは、将来的に皆をより良い方向に導くと確信しています。

正解を求めない子育てと、チーム育成の意外な共通点

考えることは、強制されてできるものではありません。しかし、適切な環境と「正解探し」から解放された思考があれば、誰もが自然と考え始めます。私たち大人にできることは、子供たちやチームメンバーに、そんな環境を提供することです。

失敗を恐れず、考えることだけに集中できる。答えは求めない。そんな文化を、家庭でも職場でも作っていく。それが、次世代の「考える力」を育てることにつながると、私は考えています。

私のチームメンバーや子供たちには、「正解を出すのが目的じゃない。考えること自体を楽しもうよ」と伝えるようにしています。

このブログを書いている時も「こんなこと書いて大丈夫かな…」と考えましたが、考えたことが良いわけで、正解かどうかを考えるのはやめました。今日も私はチームメンバーに「考えてみて」と声をかけます。それは叱責でも命令でもなく、「一緒に考えよう」という招待の言葉として。

ではまた会いましょう。